プロレタリアとブルジョワジーという言葉を、歴史の授業で聞いたことがある人がいるかもしれません。
プロレタリアとは、賃金労働者階級のことを指します。反対にブルジョワジーは、プロレタリアから搾取する裕福な階級のことを言います。
今回は、そんなプロレタリアンたちによるプロレタリア文学について、モダニズムとの関係や代表作家を含めて分かりやすく解説します。
Contents
一言で言うと
虐げられた労働者の厳しい現実を描いた文学
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プロレタリア文学が勃興した時代は、人々がそれまで盲目的に信じていた自然科学が、「実はそんなにすごくないかも?」と思われ始めた時代です。人間を幸せにしてくれるはずの科学が、人間を蝕み始めたのです。
この頃の文学には「文学の革命」と「革命の文学」という2つの思想が生まれました。前者は、文学に新しい風を吹かせようという風潮で、新感覚主義のことを指します。
後者は、産業改革の影響で貧富の差が広がったため、文学を通してこの状況を打開しようという風潮で、プロレタリア文学のことを指します。
代表作家
小林多喜二『蟹工船』
ページ数 | 288ページ |
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出版年 | 1953年 |
出版社 | 新潮社 |
葉山嘉樹(はやま よしき)『セメント樽の中の手紙』
ページ数 | 208ページ |
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出版年 | 2008年 |
出版社 | KADOKAWA |
徳永直『太陽のない街』
ページ数 | 304ページ |
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出版年 | 2008年 |
出版社 | 主婦の友社 |
誕生~衰退
誕生
プロレタリア文学は、1920年代から1930年代前半にかけて流行しました。産業改革(本記事ではこれを近代化ということでモダニズムと呼びます)の影響で、都市にはブルジョワジーが経営する工場ができ、大量生産の時代になりました。
そこで働く人たちは、資産を持たない貧乏なプロレタリアンです。彼らは、工場で機械の一部のように働き、それゆえ非人間的な扱いを受けていました。その状況を脱すべく、文章で現状を訴えるのがプロレタリア文学です。
衰退
プロレタリア文学の作家たちは様々な作品を発表しましたが、その流行は長続きしません。治安維持法と特別高等警察によって、社会主義や共産主義の思想への弾圧が年々厳しくなっていったからです。
1933年に小林多喜二が警察署で獄死したり、共産党員が続々と転向(共産主義者が共産主義思想を放棄すること)したりする中、プロレタリア文学も徐々に衰退していきました。
弾圧を受けつつも、めげずに水面下で活動していた作家もいましたが、戦争が全面的に展開される時期になると、時流を批判する作品はほとんど発表できなくなりました。
特徴
プロレタリア文学の興味深い点は、労働者だけでなく資本家階級も参加してる点です。以下で詳しく解説します。
担い手がブルジョワジー
意外に思うかもしれませんが、実はブルジョワジーもプロレタリア文学を書いていました。具体的には、生まれた裕福な環境に後ろめたさを感じた人たちです。
彼らは、自分たちの豊かな生活が、多くの人々を犠牲にして成り立っていることに絶望して、その状況を文学を通して伝えました。そのためのバイブルとして生まれたのが「戦旗」という雑誌です。
彼らは、「戦旗」に作品を発表しました。そして、そもそも労働者を破滅させる資本主義の仕組みを瓦解しようと、急進的な革命を起こすことを目的にしていたのが特徴です。
担い手がプロレタリアン
こちらは、実際に工場で働く労働者によって書かれます。彼らは「戦旗」の人たちのような革命は望まず、一旦労働環境が改善されることだけを目指しました。彼らの作品の発表の場は、「文芸戦線」という雑誌です。
最後に
小林多喜二『蟹工船』などは、作中で「糞壺」と記された居住空間に労働者が押し込まれ、酷使された後に死ねば海に捨てられるという、非道極まりない状況が記されています。
全てが実話というわけではありませんが、プロレタリア文学はこれまでの教養のある文化人だけが描いてきた文学とは全く系統が異なるジャンルなので、生々しい話が好きな人におすすめです。